薄暗い室内。窓は開けているのだから風通しはいいはずなのに、淀んだ空気が辺りを満たしている。 そのことに、息苦しささえ感じる。 じわりと目に熱いものが込み上げてきた少女は、だがそれを抑えた。小さい頃から、泣くのは幸せなときだけにしたいと思っていたから。 一度強く目を瞑り、感情を奥に押し込めてからそっと目を開けた。 改めて部屋を見渡してみる。 お世辞にも広いとは言えない部屋の家具という家具が端へと押しやられていて、真ん中には何も無い。ここ最近、数十人という男達が頻繁にこの狭い室内に押しかけてきていた。机と家具の間に男達が密集すると窮屈さが二割増し、ついでにむさ苦しさも二割増し。入ってくるなと言うわけにはいかないから、それならと机を外に放り出し、残った家具たちは部屋の隅へ移したのだ。 『……お前は本当に、強引な女だ』 ふいに苦笑交じりの低い声がした。 もちろん、ただの空耳だとは解っているのだけれど。 なんとなく感情を持て余して、助けを求めるように窓を――窓際に立つ男の背を、見つめた。 戦友である男は何をするでもなく立って外を眺めている。彼の視線の先には―― 男の隣に立ち、静かに問い掛ける。 「滅日(めっか)は?」 「明日の、陽の光が完全に消えたとき。何も出来はしない、打つ手も生き延びる手立てもない」 一欠けらの遠慮もなく言う男に、そう、と呟いて俯くとサラリと髪が肩から滑り落ちた。前は肩につくかつかないかの長さだったのに、いつの間にか胸の辺りに届くまで長くなってしまっている。 こういう身体の変化に気付くと、過ぎた時間を思い知らされるというか何というか。 望郷の念もといホームシックが首をもたげるのだ。 そう言えば『あちら側』にいた頃、死ぬなら暖かい布団の中で死にたい、なんて言っていた気がする。まったくだ。ここでも用意してもらえるだろうか。 思い、考え直した。無理だろう。 他人は自分や愛する者の身を守ることだけで手一杯なのだ。ここに集っていた同志たちも、今ではぱたりと来なくなっているのが、いい証拠だ。 そして自分も、それは同じこと。 今の自分には、この戦友の傍らに在ることしか出来ない。ちなみに布団なんて用意していたら殴られそうだから出来ない、という理由も実はあったりする。 つと顔を上げる。 自分と――彼の視線の先には、滅びの現実が横たわっている。 灰の暗い空。すでに陽は沈んではいるが、残った陽光が空が闇色に染まることのないよう繋ぎとめている。夕焼け色だった頃はとうの昔に過ぎて、今はもうほんの僅かな光だけ。本当に本当に、淡い光だけ。 光が消えたとき、世界も消える。 消えてしまうのに。消えて欲しくないのに。 また一際光が弱くなった。 聞き様によらずとも、諦めを含んだ言葉が漏れる。 「……私は、助けたかった」 すっとこちらを向いた男の目は以外にも優しさと笑みを含むもので、驚かされた。てっきり睨まれるかと思っていたのだ。 「強引が過ぎて傲慢にまで及んだか?」 「なっ……」 あんまりだ。 「お前一人では無理だ。俺がついていよう」 それは不意打ち的なあんまりといか何というか。照れもせずに恥ずかしい言葉を口にする男が何だか可笑しくて、笑えてくる。耐える必要もなかったから本当に笑った。 そのまま二人で語り合いながら、世界を見つめ続ける。 ずっとずっと、最期の光が消えるまで。彼は彼女の隣にいて、彼女は彼の傍らに在った。 そうして彼女にとって優しかった世界は、終わりを告げた。 彼女は世界を救えなかった。 * * * * まだ陽が昇り始めて間もない時間帯に、ふと少女は目覚めた。 窓から漏れる淡い陽光や鳥の囀り、室内にさえ伝わる朝特有の冷たく、それでいてどこか清涼な空気。当たり前の筈なのに、何故かそれらが信じられない程の奇跡に感じられる。 次いで溢れる感情。涙。 ――どうして? 涙のわけは自分でも分からない。ただ、溢れてくる。 目を閉じて震える手で顔を覆うと、誰かの顔が過ぎった。 きりりと胸が絞められる。熱い涙がまた滲んだ。 「だ、れか…」 誰か助けて。きっと何かを忘れているのだ、何か大切なこと。だからこんなにも苦しくて。誰か思い出させてほしい。何があった? もどかしさに思わず掌を握り締めた途端、左腕に走るちくりとした痛み。 「痛っ……?」 何だろうと思って掲げてみた左腕には、点滴の針が刺さっていた。呆然とそれに繋がる細いチューブを辿る。少女が寝ているベットの脇には点滴薬が金具のようなものからぶら下がっていた。 今更気が付いた異変。 少女がいた部屋は見慣れた自室ではなく、微かに薬品の香りが漂う白い病室で。長い間寝ていたのか、身体が鈍っていて動かし難い。 ――なに? 思い出せない。 ――これはなに? 私、どうして? 「…どうして?」 呟いた自分の声がどこか遠くに聞こえる。 少女の胸を記憶の影が掠めていった。懐かしくて遣るせなくて、また涙が零れ落ちた。 |